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第5号

ニュースレター第5号word

お産の歴史から始まる東洋医学(第2章)
かげやま医院院長 蔭山 充


先日、“助産婦”それも開業助産婦、もしくは開業を希望する助産師との混成集団から講演を依頼されました。この集団は助産「師」ではなく助産「婦!」を一貫して用いるようです。その理由をまだ聞いていません。平均年齢は35歳位で最高齢は50歳半ばでした。当初の予定参加人数が大きく上回り、この熱気はすごいものでした。「この理由は何だろう」と考えてみました。
今を逆上る半年位前、前回にも述べましたがある関西の看護大学の卒後の助産コースで「お産の歴史から始まる東洋医学」と銘打って3時間余りしゃべってきました。すなわち、各時代のお産の姿とその時に用いられた薬物や技術を歴史的にまとめてみました。ナースの資格を持つ学生達は割りに熱心に聞いてくれ嬉しいでした。

話を戻して開業集団には、このとき以上のすごい迫力に小生は何かを感じ、恐れをなしました。
この開業をめざす助産集団の眼はイキイキとして、一言も漏らさず聴いてくれて、次々と具体的な質問が続きました。
そして小生は、はたと気付きました。「お産の歴史は、漢方薬の発展の歴史そのもの」でもあるのだ。その証としてお産の前後には、漢方薬が本邦独自に工夫されてたくさん使われました。もちろん、非常有効なものもあれば荒唐無稽、まったく無効でおまじないの如きものも多くあります。しかし、産婆達はお産がうまく進行しないとき、漢方薬を処方してもらうために、産科専門医はほとんど存在しないため内科医師(本道)に頼りました。しかし、みじめな結果に終わった場合も多く若い妊産婦の死亡率は非常に高く、1/3は死亡していたようです。その証拠にその方面の書物によると殿位・足位・横位・胎盤遺残等の難産には多種多様の漢方薬、○○湯を使うとよいという記述があちこちに見受けられます。
ところで、時代は逆上るが、大宝律令(701)の医疾令での「女医制度」(助産婦)は朝廷の崩壊につれて、消滅していった。これに代わる民間での「産婆」が自然発生していくのは当然の帰結であるだろう。長い時間すなわち1000年以上をかけて、江戸時代中期18世紀半ばの賀川流産科の勃興後、本格的な職業の「産婆(旧産婆)」が誕生したようです。しかし、残念なことに、統一教科書や教育システムはなく、その資質は玉石混交でした。
ところで現在の助産師はこの流れとはまったく別物でして、『産婆取締規則』が明治元年(1868)に発布され内務(警察)行政から始まりました。この取締りの事実は幕末には分娩取扱が杜撰であったことを物語ります。そして、明治9年(1874)の『医制』の『産婆三箇条』が創始で、江戸時代には坐婆・隠婆などいろんな呼び方があるのに対して正式法律用語で「(新)産婆」と呼ばれ、急速に産婆養成施設が設立され教育体系は確立された。
この新産婆の普及と活躍で明治末年から大正年間に産婆の地位は江戸時代とは比べられるできないほど尊敬されるべき不動のものとなり、終戦(1945)昭和20年を迎える。そして、GHQとの闘争が始まることは、前回述べた。

研修会報告「助産業務を振り返る」


平成17年11月20日(日)、三井アーバンホテル大阪ベイタワー4階(桜の間)において、「助産業務を振り返る」をテーマに研修会が開催されました。
午前10時、石塚代表理事の開会挨拶の後、午前中に山口副代表理事による「助産師とヒューマンスピリット」、石塚代表理事による「助産師と救急処置」、午後からは、東京大学名誉教授 小林 登先生による「助産師に望む助産のあり方」、若尾助産院院長 若尾克美先生による「初回授乳のあり方」について講義・講演をいただき、盛りだくさんの内容の研修会となりました。
以下、研修会の概要を紹介します。

「助産師とヒューマンスピリット」
山口副代表理事

助産師にとってヒューマンスピリットの重要性、出産の自然回帰について講義が行われました。また、事例を示しながら、胎盤早期剥離事例の早期発見のポイント、分娩進行を促す温熱浴について紹介されました。

「助産師と救急処置」    石塚代表理事

助産師が救急処置を習熟することの重要性に加え、母体死亡の第2位である(分娩後)出血の処置について、具体的に実践を交えての説明がありました。


また、AED(自動体外式除細動器:Automated External Defibrillator)が紹介され、使用法についての説明(現在、AEDの機械は警察署・消防署・公的機関に設置されている)及び最新の医療情報の中で保健指導に役立つ項目についての紹介がありました。

「助産師に望む助産のあり方」
ぜひ、エモーショナル・サポートを大切に
子どもの虹情報研修センターセンター長、東京大学名誉教授、国立小児病院名誉院長、財団法人中山科学振興財団理事長 小林 登先生

助産師の情緒的な(emotional)サポートの重要性について講義されました。アメリカでは出産時にドゥーラと呼ばれる産婦の精神面をサポートする職業があり、クラウスとケネルにより分娩時間の短縮や母性行動の促進などドゥーラの効果に関する報告がなされていますが、わが国ではこの職にあたる役割を果たすのが助産師であり、助産師によるエモーショナル・サポートの必要性について再認識できました。

「初回授乳のあり方」
若尾助産院院長 若尾克美先生
最後に、桶谷式乳房マッサージの第一人者であり、当会の「乳房管理講習会」でもご協力いただいている若尾先生の講演で研修会は終了しました。

講演会終了後、参加者の皆さんから感想を伺いました。(アンケート結果より)


○ 今回で3回目の参加ですが、離床での参考になります。又、”助産師根性を知らされる”思いがします。
○ 小林登先生の「エモーショナル・サポート」についての様々な事、とても感銘しました。その大切さを胸に抱き今後の活動に生かして行きたいと思います。
○ 代表理事石塚先生の講義をはじめ、先輩助産師の方々、小林登先生の講演を聞き、今後臨床の場で、活かしていきたいと思いました。
○ 母と子供の絆の大切さ、すばらしい講演でした。ベテラン助産師さんのすばらしさも身にしみました。病院助産師であるため、思うように意見も出せず積極性もありません。又この会に出席して勉強していきたいと思います。有難うございました。
○ 小林登先生のお話は大変勉強になりました。母親を母親にしていくためには発達(人間形成)学もしっかり学ぶ必要があると思います。
○ 大先輩の先生方の助産婦としての理想を自分の師とさらに強く認識しました。それぞれの先生方の講義は、具体的で実践できるものも多くありました。小林先生の講義は、胎児・新生児の行動にあらたに意義づけのあることであり、とても深い学びになりました。環境のgoodな中での研修会、豪華な昼食に石塚先生の愛を頂きました。
○ 救急処置については、もう少し具体例をあげてききたかった。技術的なことももっと聞きたかった。
昼食もつけていただいてありがとうございます。大変美味しかったです。食事するときのテーブルは、もっと皆で会話が出来る形で昼食が取れればよかったかな。(円形になるとか)
石塚先生、山口先生、若尾先生のお話は、助産師魂を感じる素晴らしい御講義でした。
○ 小林先生の話は、内容、話の進め方等、まとまり、理解し易かった。少人数ではもったいない感じがした。

○ 小林先生の講演は多くの発見をさせていただきました。石塚先生、山口先生、若尾先生の技に勇気をいただきました。ありがとうございます。
○ 山口先生、石塚先生の講義から助産師のレベルUPのための技術の伝承など、心の広さが学べた。ありがたいと思います。成母期という言葉を初めて知りました。優しさ、優しい勇気づけが、人間の心身の発達の起源になることが理論的に学べた。
○ どの先生のお話も素晴らしいものでした。中でも石塚先生の生命に対する熱意というか、熱い思いが言葉の一つ一つから伝わってきて感動しました。
○ 大阪に出てきて4月に助産師として働き始めたばかりの新人です。病院勤務において、日々自問自答しながらの毎日です。転職先を考えているところです。今日は素晴らしい助産師の先輩方の温かい言葉がシャワーのように心に響き、信念を持ち助産師としてのプライド誇りを持って働きたいと気持ちを新たにしました。お忙しい中、準備・手配等ありがとうございました。
○ とても低価格でこんないいお講義がきけるのがありがたいです。(いいのですか・・・と思う程です。)若尾先生にオッパイトラブルの件で再度お教え頂きたいです。
○ 石塚先生、山口先生、本当に良い講義をありがとうございました。今後、今日習った事を地域でいかしていきたいです。
○ 気持ちを引き締めて、又、頑張っていこうと思いました。
○ 感謝の一言です。力づけられ、又学びを深めたい。
小林先生のお話は初めてでした。桶谷先生がいつも尊敬の念で話して居られたことを思い出していました。石塚先生の技術の伝えるお気持ち、配慮の不足を痛感しました。