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中畝正博・恵理さん  1997年9月6日 第4子
 

1997年9月6日無事出産しました

あかねさんを選んだのは健診が大病院にありがちな長く間ってちょっと見てもらうというのではなく、妊婦の身になってゆったりと診てもらうことが出来るということでした。実際にこちらでお世話になり、大変ありがたかったと思います

 出産時はまわりで上の子供たちがベッドの回りをウロウロしてましたが、面倒を見てくれる人が間に会わなくても、ここでは一緒にいることができ、その点も非常にたすかりました。

 これからも、こちら、あかね助産院の益々のご発展とこちらで生まれる、赤ちゃん達のお幸せを祈りました、擱筆します。 

あかね

とても安産でした、10分毎に弱い陣痛から始まり、一時は生まれるかしらと思ったのに、止まってしまった。その後一時帰宅してもらって、すぐに再入院後2時間もしないで出産となりました。4人目だからと早めに入院してもらったが、陣痛が弱く、なかなか進まなかったが、一時帰宅してもらって、即入院分娩となった。家に帰ると、身体を動かし、心に余裕ができるのか、良い結果がでたように思います

本田 なおかさん 2003年 10月6日

2003年 10月6日 長女(第2子)出産  

私は、今回2人目の出産でした。1人目の時は、実家近くの個人病院で出産したのですが、陣痛の間、入院期間中は決して満足のいくものではありませんでした。何よりも後悔したのは、母乳に関する知識が無かった為に母子同室でない所を選び、その上に全くと言っていいほど母乳の指導を受ける事が出来なかった為に、出るかもしれなかった母乳が混合の末に、たった4ヶ月でミルクオンリーになってしまった事でした。

その後、2人目を妊娠する前から母乳関連の事をHPで勉強していて、『あかね助産院』のHPと出会いました。

あかね助産院には、実家に里帰りをして妊娠34週目からお世話になりました。やっと通い始めたのに36週で切迫早産。正期産に入る37週まで、1週間の市立病院での入院でした。無事に!?退院出来たので、ホッとして「そちらで産めます。」と、先生に電話で報告しました。

38週、あかね助産院での検診に戻る事が出来ました。(10月4日)

先生は、次の週に先生が出版される本の出版パーティを控えておられたので、「11日の2時から4時の間は産まんといてね。」と言われ、大笑いしていました。そして、「早く生まれるといいね。今日は内診でコチョコチョッとしとくわ。」と、内診され、その場でおしるしに。私は、今まで積み上げてこられた実績と経験が、この自信につながっているのだなと、おしるしになってビックリしましたが、“先生、たくましい!たよれる!”と、嬉しくなりました。

 話はそれますが、私はこの検診の日、先生が出版されるという『ぬくもりのあるお産を求めて』の本と出会いました。出産後に“読んでおけばよかった!”と後悔するのは嫌だったので、早速購入して帰りました。内容はとても面白く、参考になり、検診から戻った半日で読み切ってしまいました。

 私は、あかね助産院に里帰りしてからお世話になりはじめ、検診は2週間に一度しかないし、上の子を連れて行ってバタバタしたり、電車で行った日は帰りの時間を気にして慌てたりと、なかなか先生とゆっくりお話は出来ず、おまけに市立病院に入院した為に検診の回数も減り、先生とのコミュニケーション不足は仕方のない事と考えるしかありませんでした。そんな中で、この本を読んで先生が今までどのような勉強、体験をし、どのように感じていたかのかを知る事が出来て、とても満足出来たのです。たくさんおしゃべりをして、先生から教えてもらったような気になりました。

 私は、出産寸前に抜群のタイミングでこの本と出会えて運がいいとしか言いようがありませんでした。この検診の日まで、本を出版される事すら知らなかったのですから…。私は、この日から早く早く先生のもとで産みたい!と、待ち遠しくて仕方ありませんでした。

 38週と2日。内診のコチョコチョが効いたのか、おしるしの出血の量が増え始めていました。昼食後、お腹が張りだし、陣痛?と思われるような痛みもありました。先生に電話をすると、「すぐ来なさい。」と、言われたのでタクシーに乗って行く事にしました。

 そして、タクシーを待っている間に破水したようでした。

 あかね助産院に着くと、先生が私の様子を見て「まだ大丈夫そうやね」と、声をかけて下さいました。私は一度出産を経験しているので、“あー、いよいよだなー。”と思い、前回の陣痛の時の事を思い出していました。

 まず、分娩監視装置を付けて様子を見ました。まだまだ我慢出きる陣痛だったので、先生とお部屋に飾ってあった黒米の話をしたり、何気ない話をして笑いながら気をそらして過ごしました。その中で、とても役に立ったお話は、子宮口のおまじないの話でした。陣痛の痛みが襲ってきた時に、「子宮口よー、開けー、開けー。」と、念じると本当に子宮口が、ばぁーっと開くのよ、というお話でした。

 陣痛室に移ってから、いよいよ激しい痛みが襲ってきたので、私はお布団の上に四つん這いになり、腰を揺らしながら、おまじないの「開けー、開けー。」と、口にだして言い、子宮口の辺りに神経を集中して体の力を抜くようにしていました。すると、産道をぐーっと赤ちゃんが下りてくるのを感じました。おまじないの効果がありすぎて驚いた程です。慌てて先生に「来たみたいです!」と言い、ベッドに移りました。先生は様子を見て、「あっ!」と声を出して驚かれ、(多分、頭が見えていたのでしょうか?)ササッと産む準備をして下さり、「もう、いきもうか?」と言われました。私は、“もう産んでもいいんだ!”と嬉しくなり、気合いが入りました。先生が的確に声かけをして導いて下さり、あっという間につるんっと赤ちゃんが生まれてきました。そして、すぐに元気よく泣き出しました。

 赤ちゃんが産道を通ってくる時、生まれてくる時、全てを自分の体でしっかりと感じる事が出来ていました。そして、念願の生まれてすぐの赤ちゃんを自分の胸に抱き、おっぱいを吸わせるという体験も出来ました。

 話は戻りますが、陣痛室でも素敵な体験をしました。母と先生が腰をさすって痛みを逃がすようにしてくれていたのですが、短い間に母の愛情のこもった腰さすりと、絶対に体験したかった先生の魔法の手の腰さすりと両方を体験できました。先生の魔法の手は、本当に痛みが和らいで、噂通りだ!と嬉しくなりました。上の子は、先生が出して下さっていた冷たいお茶を必死に飲ませようとしてくれていました。(私は、あまりの痛みに「ありがとう…。」と言うのがやっとだったのですが)

 そして、あかね助産院ならではだったのが、上の子が退屈しないようにと、アンパンマンのビデオをつけてもらっていたので、私が持ち込んだソフロロジーのCDは登場する間もなく、「はみがきマーン!」とかいう中で陣痛と戦った事です。上の子が、生まれてすぐに泣き出した赤ちゃんに気付き、陣痛室から何とも言えないような顔を出して見に来た姿も忘れられません。残念ながら、主人は立ち会えませんでしたが、アットホームな雰囲気の中、先生、母、息子に協力してもらって産めたという感じがして、とても幸せです。他の病院では決して体験する事は出来なかったと思います。

 助産院に着いてから生まれるまで、約1時間という大安産でした。自分の選んだ出産方法、自然分娩は、間違いなかったと思います。産後も驚くほど元気でした。

大切な大切な娘を無事取り上げて下さった、素敵な体験をさせて下さった先生に、とてもとても感謝しています。本当にありがとうございました。

 10月6日から10日までの入院となり、出版パーティの11日に何の支障もなく、開いていただけたのも驚きです。(笑)

 ※次こそは!と思っていた母乳育児も出来ています

高松平蔵&アンドレアさん 2001年10月1日 第3子(賢蔵)

長女は京都うまれ、次女はドイツで生まれました。いずれも当時は自宅から15分程度のところで、しかも、満足度の高い出産でした。

その後、奈良県に移り住み、妊娠したものの、納得できる病院や助産院は見つけられず、結局、毎月の健診は長女が産まれた京都の病院へ行っていました。問題は時間、京都までは自動車で2時間半から3時間かかります。そこで、出産予定日1ヶ月前になって、もう一度インターネットで調べました。ようやく奈良県ないでも納得できそうなところがみつかりました。それが、あかね助産院です。

 出産そのものは、普遍的な現象ですが、ヒトはそこへ社会的な意味付けや安全安心の向上と言ったことを行ってきました。いわゆる文明や文化です。そう考えると、助産師さんや病院の役割は明確です。安全安心を提供し、リスクを回避する役割にあります重要な事は、その手段に機械や技術だけでは不完全だということです。ヒトが相手である限り、精神的な部分でもカバーの必要があります。そういう風に考えると、現在の病院などには満足できるところが少ないと言う印象はぬぐえません。

おこがましい言い方になるかもしれませんが、そういう観点からいうと奥田先生の「安全安心」「リスクの回避」の提供方法は幅広い知識に裏づけされ、妊婦本位の対応をしてくださっている事を感じました。プロの手による最適なサービスほど気持ちのいいものは有りません。具体的には、とにか対話に相当時間を割いていただけることがもっとも大きな点でしょう。

一方、夫としては、今回の出産がもっともしっかり付き合ったと言う気分です。

 上の二人の娘の誕生にも立ちあってはいますが、長女ははじめてのお産だったゆえ、必死になっているうちに終わったというのが正直なところです。次女の時は助産院にたどり着いたとたん、自動車の中で生まれてしまいました。そんな体験から、今回は早めにあかね助産院につき、最初から付き合えました。特に思い出深いものになったのは陣痛の初期の様子でしょう、

「夜は長くなりそうなので体力をためておきましょう」ということで奥田先生と妻と私の3人で「かわの字」になって横になりました。ところが10分毎に陣痛がきます。そのたびに私と先生がとびおきて、妻の腰をさすったのです。おおまじめにやってることですが、なんともこっけいは光景で賢蔵に語ってやるエピソードの一つになりそうです。

 しかし、こんなことは一般の病院ではまずないでしょう。つまり、医療機器や専門知識をもった先生がいる「普通の家」があかね助産院と考えるとよいかもしれません。入院中も同様です。「親戚のおばさんの家でお産」と言う雰囲気が大きな魅力のひとつではないでしょうか。

有難うございます

梅原 真央美 2004年 1月19日 午前7時40分

 長女 希良璃(きらり)誕生

切迫早産だったから、絶対早く生まれてくると思ったのに40週1日目の出産でした。

 楽しみで仕方なかったから、予定日の夜、陣痛らしきものがきた時には嬉しくて仕方なかったけど、ここへ来た頃にはもう死にそうな程痛かった。

 陣痛の間、「子供は1人で充分や。」とか「3人も産んだ母親はすごい。」とか色んな事を考えていました。多分、一生のうちで一番痛いと思いました。

 出産の途中も子宮口がなかなか開かなかったり、背骨の位置もあんまり良くないとかで、“いつまでかかるんやろう”っていう不安があったけど、痛いって叫び続けている私の腰を、ずっと先生がさすってくれました。約10時間も。本当に助かりました。先生は、「病院やったら赤ちゃんの様子を見に来るだけね。」って言っていたけど、“ほっとかれたら死んでるわ…”とか思っていました。本当に感謝です。

 やっと赤ちゃん誕生。めちゃくちゃかわいいです。こんなんが、お腹の中にいたと思うと、不思議で仕方ないです。こんな小さいのに、よく生きててくれたなあと思いました。よく聞く、「生まれてきてくれてありがとう。」と、本当に思いました。

 入院生活が始まって、思っていた以上に大変でした。不安やし、眠いし。

 赤ちゃんが何で泣いているのか分からんくて私が泣きたくなったり、眠いのに泣いているからずっと抱っこで腕がつったり。母乳100%で育てると意気込んでいたのに、ミルクを足してしまって泣いていた夜、先生がすごい慰めてくれました。頑張ろうと思う反面、正直逃げ出したくなる時があって、そういう自分がすごく嫌で、幸せそうに寝ている赤ちゃんを見て、自分自身が偉く思えたり情けなく思えたりしました。

 ここでの入院生活は、私にとって育児学校のようなものでした。 切迫早産で入院中、「病院」で出産した人たちの生活を見てきたから、「助産院」には自慢したくなるくらいの良さがありました。

母乳についても、肩のマッサージをしてもらったり、ご飯もすごく美味しかったし、何かと気にかけてもらって精神的にも心強かったです。私には、病院…という所で産むのは考えられなくなりました。もし、病院で産んでいたら、これからの育児がボロボロになっていた気がします。まだ自信が持てたわけじゃないけど、少しずつゆっくり焦らずやっていきます。

2人目も産む決心も出来ました。今は、この子を幸せにするので精一杯だけど、この子が兄弟が欲しくなったらまた陣痛に耐えて産んでみせます!!その時は希良璃にも立ち会ってほしいです。

本当に本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。